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地域情報

    愛媛県大洲市
  えひめけんおおずし
  松山から40分
JRで35分

松山自動車道
 大洲IC
   大洲市のご紹介
詩情ゆたかな城下町
   匂いただよう伊予の小京都


電信黎明の地 日本初の電信実験の地 

大洲市公式ホームページ http://www.city.ozu.ehime.jp/

平成30年7月7日 
大洲市は西日本豪雨により甚大な浸水被害を受け、多くの住民や事業所が冠水しました。現在復興に向け「がんばろう大洲」を合言葉にがんばっております。

     

大洲城
 大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)が始まりといわれています。激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、このころ4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。元和3年(1617)米子から加藤貞泰が入城しました。以後、明治維新を迎えるまで加藤氏が6万石の城主としてこの地を治めました。明治維新後、幕藩体制が崩壊し、明治21年(1888)には天守も取り壊されました。しかし、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。城跡も県史跡に指定され今日も大切に保存されています。4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形(ひながた)」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料をもとに平成16年(2004)に木造で復元したものです。重要文化財の台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結し、複連結式天守と呼ばれる構えを成しており、これら全ての建物を観覧することができます。

観光・文化施設
 「伊予の小京都」と呼ばれる大洲市は、しっとりとした水郷の情緒漂う城下町。大洲盆地にひらけた街の中央を、とうとうと豊かな水をたたえて肱川(ひじかわ)の流れが横たわります。

 富士山を思わせる標高320mの秀麗な山は冨士山(とみすやま)。春には頂上一帯を6万本のつつじが彩り、人々の憩いの場として賑わいます。ここには展望台やちびっこ広場、家族旅行村にコテージやオートキャンプ場などがあり、自然にふれあえる一大レジャーゾーンとなっています。
 名刹・如法寺(にょほうじ)、古い蔵屋敷跡が並ぶ“おはなはん通り”や明治の面影を伝えるおおず赤煉瓦館にも趣きがあります。四国八十八ヶ所の番外札所十夜ヶ橋(とよがばし)、高山(たかやま)メンヒル(巨石遺跡)、新谷(にいや)藩の陣屋敷跡麟鳳閣(りんぽうかく)、新谷花菖蒲園、矢落川(やおちがわ)上流の源氏ボタルの里などの見どころに加え、清流肱川の風物詩うかいや花火大会、いもたきなど四季折々の楽しみがいっぱいです。
物  産
 大洲盆地は、県下でも有数の農産物の産地として知られ、たけのこ、白菜、しいたけ、夏芋など、おいしい野菜が豊富です。鮎や鰍(かじか)などの川魚は水郷ならではのもので、これらを用いた料理も素朴で美味。特に焼鮎の甘露煮は、藩政時代には藩から将軍への恒例献上品とされていました。米粉・小豆・砂糖のみで作られる銘菓しぐれは、大洲藩江戸屋敷内の秘法菓子が城下に広まったもので、甘さをおさえた上品な味わいが人気です。工芸品では最上の竹を使った竹細工が古くから行なわれており、現在も素朴な手作りの味を伝えています。
祭り インフォメーション
うかい
(6月1日〜9月20日)
 昭和32年に始まった肱川の観光うかいは、今では「日本三大うかい」の一つに数えられるまでに発展しました。あかあかと篝火を灯した鵜船と屋形船が一体となり、漆黒の川面をゆるやかに川を下る光景は、水郷大洲の夏の風物詩となっています。屋形船の上では風味豊かな郷土料理を味わいながら、鵜匠と鵜が織りなす妙技に拍手を送り、詩情溢れる夏の一夜が過ぎていきます。
臥龍山荘
いにしえ人の美学を堪能する幽遠な山水の世界−
 「大洲の桂離宮」といわれる臥龍山荘(がりゅうさんそう)は、肱川流域随一の景勝地、臥龍淵に臨む三千坪の庭園です。神楽山を背に、冨士山、梁瀬山、亀山と、肱川、如法寺河原を借景とした庭園は、自然と人工の典雅な調和を見せています。臥龍院、不老庵(ふろうあん)、知止庵(ちしあん)の三建築は、それぞれ数寄を凝らした名建築で、数寄屋造の一つの典型とされています。山荘内は庭石から花木、苔類に至るまで細かい吟味が加えられ、深い趣きを醸し出しています。  
電信の黎明 大洲の先覚者三瀬諸渕

1853年、大洲市中町生まれの三瀬諸渕は長崎から持ち帰った発電機と電信機を使い大洲市を流れる肱川河原で電信実験を行った。のちにこの実験が日本ではじめての最長距離の実験だったことになり、最近ではアマチュア無線家のみが活用している電信の歴史を物語っている
           三瀬諸渕のページへ  
漫画家 松本零士 想い出の地  大洲市新谷

「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の作家 漫画家の松本零士先生は少年のころ、大洲市新谷の実家で過ごされました。
「大洲を舞台にした物語をこれから始める」と話された松本零士先生。そしてあの作品が。また母校の小学校にはなんと・・・・
このページで紹介いたします。

           松本零士 スクープ情報のページへ
 新谷小学校  銀河鉄道999と学ぶこどもたち○○○祭りイメージ

「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の作家 漫画家の松本零士先生は少年のころ、大洲市新谷の実家で過ごされました。「大洲を舞台にした物語をこれから始める」と話された松本零士先生。その母校である新谷小学校には先生の原画がいっぱい。縦2.3m横5.8mの壁画は新築落成を記念して寄贈されたものです。
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 稲荷山公園○○○公園写真

藩政時代に時の新谷藩主が、江戸からの帰途に京都の高雄から苗木を持ち帰り、藩の祈願所である稲荷神社の社前一帯に植えたのが始まりと伝えられる。現在では樹齢約200年の老楓などが約3,000本あり、愛媛県下でも有数の紅葉の名所となっている。11月1日〜30日の「もみじまつり」期間中は、神社付近一帯が朱色に染まる中に露店などが立ち並び、県内外から多くの見物客が訪れる。







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